エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Wangari Maathai ~The Eco Warrior~」(2021 年 6 月)

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 「人ができることは小さい。これらの小さなことは変化を作りあげる。私の小さなことは樹を植えることだ。」

 これはケニアの環境活動家、ワンガリ・マータイが言ったことです。彼女が、日本語の「もったいない」という言葉が「リデュース、リユーズ、リサイクル、そしてリスペクト」という概念を教えてくれる、と発言したことで皆さんは彼女のことを知っているかも知れません。

 マータイは1940年にケニアの小さな村で生まれました。その時ケニアはまだイギリスの支配下にありました。彼女が高校を卒業する時には、アフリカの多くの国が独立を果たしていました。ケニアもまた独立国家への準備を行っていました。それで、政府は成績の良い生徒をアメリカに留学させていました。マータイはそのうちの一人でした。アメリカでは、彼女は科学者になるための勉強をしていました。ケニアが独立国家に成った後、マータイは国に戻りナイロビにある大学で教育することを始めました。

 ケニアにおける独立国家としての初めの一年目は、とても困難なものでした。人々は他の国に輸出するために、穀物などの植物を育てることを試みました。しかし、それらの植物はケニアの土壌に合わず、環境に害を与えました。これらの植物を育てるために、多くの木も切り倒されました。この事は環境系に害を与え、木や水といった天然資源は十分なものでは無く成りました。

 

 1977年、これらの問題のために、マータリはグリーンベルト運動を始めました。彼女はアフリカの伝統的な樹木を植林する事が環境問題を解決してくれるのではないかと信じていました。彼女は樹木を列に、それらがベルトのように見えるように植林しました。これは水害を防ぐのに良かったのです。また、マータリは植林することは女性の生活をより良くするものだとも考えていました。ケニアの女性たちは毎日、薪や水を集めています。ケニアの一部は樹木の過剰な伐採のために砂漠化していました。それで女性たちは遠く遠くまで薪と水を集めるために歩かなくては成りませんでした。もし木々が近くに在ればそれらの資源を集めやすくなるでしょう。

 この運動は地域的に始まりましたがそれは広がり続け、すぐにケニア当局の目に留まりました。彼らは権力を維持したいが為に、変化を求めてはいませんでした。マータイがこの運動を始めて、彼女は何度か襲われ、ひどい怪我を負いました。彼女は収監されさえしました。しかし、このことが彼女を止める事は有りませんでした。他の国の彼女の友人たちの援助により、マータイはケニアの困難な状況をたくさんの環境会議において講演しました。2002年、マータイは国会議員になり、2003年には天然資源省副大臣となりました。彼女の努力の結果、彼女は2004年のノーベル平和賞を受賞しました。

 ワンガリ・マータイは2011年、癌で亡くなりました。生前に彼女は言いました、「私の亡骸を木製の棺桶には、入れないでください。」と。

 彼女は最期まで、本当の環境活動家で在りました。

 

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