エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Jackie Robinson ~A Game-changing Baseball Player~」(2021 年 7 月)

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 皆さんは42番と書かれたユニフォームを全てのプレイヤーが身につけた野球の試合を想像することは出来ますか?。それはおかしなことに聞こえるかもしれません、しかしこれは毎年4月15日に行われることです。この日は「ジャッキー・ロビンソンの日」と呼ばれています。この日には、人々は、アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーグ選手の事を思い出します。

 ロビンソンはアメリカ合衆国の南にあるジョージア州に1919年に生まれました。この時代には黒人と白人は平等な立場ではありませんでした。黒人は白人と、その同じバスに乗車することは出来ませんでした。彼らは同じスタジアムで観戦することも出来ませんでした。アメリカは当時にはそのような状況でした。

 

 軍隊に属した後、ロビンソンは黒人の選手のみを有する野球リーグの選手になりました。彼は大変良い選手で、ブランチ・リッキーの目に止まりました。リッキーはブルックリン・ドジャースという名のメジャーリーグの弱小チームの総支配人でした。ドジャースワールドシリーズで一度も勝った事がありませんでしたので、リッキーはロビンソンのような、彼のチームを強くする助けになる、恵まれた選手を欲していました。その時代にはメジャーリーグには黒人の選手は存在しませんでした。リッキーはその事が初の黒人選手に対しては相当な困難になるであろう事をわかっていました。ですから、リッキーは怒りやすくない良い選手を探していました。

 彼らが面談した際、リッキーは言いました。「いつか貴方がメジャーリーグで活躍する事を私は願っています。もし人々が貴方に対し悪い事を言っても、その時まで、怒りを持たないでください。」と。ロビンソンは言いました。「リッキーさん。あなたは仕返しを出来ないような野球選手がお好みですか?。」と。リッキーは返答しました。「違うんです。私は仕返しをしないで済むようなガッツを持つ選手が欲しいのです。」と。

 

 1947年、ロビンソンはブルックリン・ドジャースにてプレイを始めました。彼は42という背番号を与えられました。彼は本当に上手くプレイし、新人王を勝ち取りました。今日ではその賞はジャッキー・ロビンソン賞と呼ばれています。次の8年間、ロビンソンの活躍により、ドジャースワールドシリーズにおいて6回の試合を行い、1955年には優勝を勝ち取りました。

 ロビンソンは野球選手として成功しましたが、それは簡単なことではありませんでした。ある試合で、対戦チームは黒人選手を有する相手とは戦わないと言いました。他の試合では、コーチや選手たちがロビンソンに対し、試合中ずっと暴言を浴びせる事がありました。ロビンソンのチームメイト達はそれらの困難において、彼のことを支えました。そうして、ドジャースのファンは彼のことを応援し始めました。ロビンソンのメジャーリーグでの活躍により、多くの黒人選手がメジャーに参加をしました。

 ロビンソンの引退後、彼は政治活動に参加し、全ての人々の平等のために戦いました。彼は1972年、53歳にて亡くなりました。

 ジャッキー・ロビンソンは偉大な野球選手というだけではなく、紳士でもありました。そのようにして、メジャーリーグでのアフリカ系アメリカ人に対して扉を開いたのでした。

 

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