エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Anne Sullivan ~The Miracle Worker~」(2021 年 12 月)

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 「奇跡の人」とは、ヘレン・ケラーと彼女の先生、アン・サリヴァンについての映画の題名です。日本の多くの人々はヘレンが「奇跡の人」だと考えるかも知れません。しかし、アメリカにおいて「奇跡の人」とは普通、彼女の先生アン・サリヴァンを意味します。

 アンの人生は決して容易な物では有りませんでした。彼女の母親は彼女がわずか8歳の時に亡くなりました。彼女の父親はアンと彼女の弟を貧民収容施設に入れ、失踪しました。この施設は不潔で、すし詰めでした。直ぐに彼女の弟は亡くなりました。

 アンは目が良くありませんでした。そのため彼女は学ぶ機会を多くは得られませんでした。彼女が14歳の時、地方行政の公務員がその施設に訪れました。アンはもっと学びたいのだという望みを彼らに伝えました。暫くのち、彼女の望みは叶いました。そうして、彼女はパーキンス盲学校へ学びに行きました。

 

 アンは学校へ通ったことはなく、その規則を知りませんでした。彼女は怒りやすく、度々トラブルを起こしました。1882年、アンは何度か彼女の眼の外科手術を受けました。彼女の眼は、そうして読書には十分良くなりました。夢が実現したような物でした。その時から、アンは一所懸命に勉強をしました。彼女が20歳の時、彼女はパーキンスを首席で卒業しました。彼女は彼女の講演で言いました。「皆さんが何かを学ぶ時、皆さんは自分自身にも、社会にも、役立ちます。もし皆さんが学ばないので有れば、皆さんは社会へ損失を与えていることになります。」 

 

 パーキンスを卒業した後、アンはヘレンに出会い、彼女の先生となりました。ヘレンが彼女のハンディキャップを克服するために努力したことは皆に知られています。しかしアンもヘレンを援助するために、それと同じくらいに尽力しました。

 ヘレンがラドクリフ女子大学で勉強していた時、アンはヘレンの目と耳に成りました。彼女はヘレンの教科書の全てを読み、教師の話したことを全て書き取りました。そうして、彼女はこの内容をヘレンに手話で伝えました。このことには困難がありました。しかし、彼女たちは共にそれを行い、ヘレンは卒業することが出来ました。ヘレンの、社会の役に立ちたいという願いは、アンの願いと同じでした。

 アンは大学卒業後もヘレンのサポートを続けました。しかし、アンは病気になりました。1936年、ヘレンは盲目の人たちへの励ましの講演のために日本に来てくれるように依頼されました。ヘレンはアンの元を離れたくは有りませんでした。しかし、アンは言いました。「日本の盲目の人たちを助けることを、私に約束してください。」と。

 

 1936年10月、アンは70歳で亡くなりました。ヘレンは彼女が愛した先生の死に、心を痛めました。しかし、6ヶ月後、ヘレンは日本へ向かいました。彼女はアンとの約束を守りたかったのです。ヘレンの訪日は日本人に、困難と共に在る人々を手助けすることの重要性を理解させました。

 アンはヘレンが社会へ齎した変化を全て見ることはなく亡くなりました。しかし、ヘレンが成功することを手助けした「奇跡の人」として、彼女はいつも記憶に残されることでしょう。

 

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