エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Yokoi Gunpei ~A Fun-loving Game Designer~」(2022 年 2 月)

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 皆さんがビデオゲームで遊ぶ時、コントローラーに在る十字ボタンのことはあまり意識しないかもしれません。しかしこのボタン無しにビデオゲームで遊ぶのは、より操作しづらいものかもしれません。このボタンを発明したのは横井軍平という名前の人物です。

 横井は大学で工学を学びましたが、しかし卒業時には彼は職を見つけられませんでした。そうして1965年、彼は唯一採用してくれた場所、任天堂という玩具製造会社で働き始めました。その当時、任天堂の主要商品は日本のカードゲーム、花札と呼ばれるものでした。

 横井はすぐに新しいヒット商品、例えばウルトラハンド、を創りました。それは部屋の反対側にある物に届いてその何かを掴むものです。この商品が任天堂を救ったと言う人もいます。任天堂は資金の問題を抱えていたからです。彼はまたウルトラマシンや、現在では普通になった掃除ロボットのような掃除の玩具を創りました。

 

 1970年代後期のある日、横井が新幹線に乗っていた際彼は、こっそりと電卓であそんでいる人を見ました。その時突然に横井はアイデアを得ました。「人が手持ち無沙汰な時、遊ばれるようなゲームを創りたい。もしそれがこっそりと遊ばれるような物なら、それは人気商品になるかもしれない。」

 この思いつきはゲームウオッチシリーズと呼ばれる、ほぼスマホサイズの一連のゲーム機になりました。

 こんなに小さなゲーム機では小さなコントロールボタンが必要になりました。これらのゲーム機は親指でコントロールするボタンを持っていました。それらは多く一般的なものになり、後のゲームコントローラーへのアイデアを彼に与えました。

 

 1980年代、ビデオゲームは伝統的なゲームや玩具よりも人気商品になりました。多くの玩具制作者は伝統的なゲームの理解しかなく、彼らは職を変えざるを得ませんでした。しかし、横井は違いました。彼は人気ゲームを創り続けました。これは横井が、枯れた技術の水平思考を信条としていたから可能だったのかもしれません。

 横井が新しい家庭用ゲーム機のためのコントローラーを設計している際、彼は操縦桿からアイデアを得て、それを小さく平らにする方法を考えました。横井は考え抜いて十字ボタンを創りました。このボタンを使えばプレイヤーはゲームを楽にコントロールできました。

 任天堂が世界的に人気になるにつれ、横井もまた有能なゲーム制作者として知られるようになりました。後に彼はゲームボーイ、大変に人気になる携帯ゲーム機の制作を手がけました。

 横井は1996年に、自分自身の会社を始めるため任天堂を去りました。悲しいことに彼は一年後、交通事故で56歳の時に亡くなりました。ゲーム業界は横井の時代からは大きく変化しましたが、多くの人々はこの素晴らしいゲームデザイナーを未だリスペクトしています。彼の偉大な発明品たちは世界中の人々を楽しませ続けています。

 

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