エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Nakamura Tetsu」(2022 年 5 月)

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 「水は善人も悪人も同様に扱う。私はそのような者になりたい。私は皆と一緒に活動したいし、人々に生活するための場所を与えたい。」

 中村哲アフガニスタンの人々を援助することに年月を費やしました。人々は彼をアンクルホープと呼びました。しかしながら、2019年12月に仕事に向かう道中彼は銃撃を受け亡くなりました。彼は73歳でした。

 中村は1946年、福岡県に生まれました。子供の頃、彼は昆虫が大好きでした。そのため彼はジャン・アンリ・ファーブルのように成りたい、大学で昆虫の勉強をしたい、と思いました。しかし彼の父親はその職は良い物だと考えないという事が彼は分かっていたので、彼は医者になる事を決めました。

 中村は海外に、始めは昆虫に対する彼の情熱のために行きました。これは1978年のことです。パキスタンにある山へ登るための医師として、一緒に来てくれるように彼の友人が彼に依頼しました。この山は大変に貴重な種の蝶のために有名な山でしたので、彼はそれを見たいと思いました。中村は蝶も見たのですがまた、医師を必要とする多くの人々も診ました。その後、彼はパキスタンペシャワールで従事してくれるようにと依頼されました。彼はそこに行けて喜びました。彼は病院で、多くのさまざま異なる病気を持つ人々の治療をするために、非常に一生懸命働きました。彼は1991年に三つ、後にさらに多くの診療所を開設しました。

 

 そうして2000年、アフガニスタンは干害を受けました。野菜は育たず、人々は飲むための十分な水を得られませんでした。アフガニスタンの人口の半分以上の人々が、困難を抱えていました。多くの人々、特に子供たちが亡くなりました。中村は考えました。

「飢えた人々、喉の渇きを持つ人々を医療で助ける事は出来ない。」

 そして彼は人々の水を得る為の技術を学びました。三年後に中村は、人々が食料を育てるために水を利用することができるよう遠い場所にある川から用水路を引く、彼の大きなプロジェクト始めました。中村は日本の江戸時代に築かれた運河から着想を得ました。江戸時代当時人々は重機を持っておらず、人々は彼らの手を使っていました。アフガニスタンの人々も同じ方法を用いることができました。彼らは持っていない重機を必要とすることがありませんでした。彼は続けてこう言いました。

「1本の用水路は100人の医師よりも良く働く。」

 それは10年かかりましたが、彼は27kmに渡る、65万人以上の農業従事者に水をもたらす用水路を築きました。かつてこの土地は死の砂漠と呼ばれていました。しかし用水路からの水により、人々は農業、生活が可能になりました。中村は人々の顔にある笑みを見ることが大好きでした。彼は言いました。

「誰も行かない、だから我々が行く。誰もそれをやらない、だから我々がやる。」

 

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