エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Harriet Tubman」(2022 年 5 月)

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 皆さんが「地下鉄道」という言葉を聞いた時、どのようなことを思いますか?。大きな都市の地下を走るカッコいい電車でしょうか?。このお話の「地下鉄道」はそのような物ではありません。それは、秘密の通路網、隠れ家、奴隷を逃す為の人々のことでした。奴隷とは他の人に所有されている人のことです。彼らは通常無給で重い仕事をしなくてはなりませんでした。1600年代初頭から1800年代初頭まで、多くの人々がアフリカからアメリカに連れていかれ、そして奴隷に成りました。

 その当時、アメリカ合衆国南部では人は他の人を所有して良いと法律には在りました。しかし北部ではそれは許されていませんでした。南部の奴隷の人々は彼らの所有者に酷い扱いを受けていましたので、彼らは逃げて北に行くことを望んでいました。彼らは逃げるために地下鉄道を利用しました。このネットワークのために従事している人は「車掌」と呼ばれていました。最も有名な「車掌」のうちの一人がハリエット・タブマンです。これは彼女のお話です。

 タブマンは1820年頃メリーランド州の、奴隷の家庭に生まれました。彼女の生まれた時の名前はアラミンタ・ロスと言うものでした。ちいさな頃からタブマンは家事をし彼女の父親が木を切るのを手伝っていました。彼女の所有者は彼女を何度も叩きました。

 1844年、彼女はジョン・タブマンという名の男性と結婚し、彼女の名をハリエットと変えました。それは彼女の母親の名前でした。

 

 5年後、タブマンは他の家族へ売却されようとしていることを知り、北へ逃げました。彼女はついに自由に成りましたが、彼女の家族や友人たちが一緒ではないことを悲しみました。タブマンは彼らが逃亡することを助けたいと思いました。そして彼女はその、地下鉄道の車掌に成ったのです。1860年までに、彼女は70名以上の人々をカナダに逃しました。それは大変に危険な仕事でした。もし誰かが彼女や彼女が助けた人々を発見したなら、彼らは全員殺される可能性がありました。タブマンは彼女の業務の遂行がとても上手でした。振り返り、彼女は言いました。

「私は8年間、地下鉄道の車掌でした。そして、私は乗客を失う事は決して有りませんでした。」

 1860年代、北アメリカと南アメリカの間には戦争がありました。タブマンは看護師、調理人そしてスパイとして、北アメリカのために戦争に参加しました。1863年、彼女は150人の兵士を率いて奴隷主を攻撃しました。この攻撃は700人以上の奴隷を逃すことを助けました。

 彼女の後年、タブマンは女性の投票権の為の活動家として働きました。彼女はまた老いた人々や貧しい人々を援助する為の施設を建てました。タブマンは1913年に亡くなりました。彼女は90を超えた歳でした。彼女の人生の殆ど、タブマンは人々がより良い人生を持つことを援助するために一所懸命に働きました。彼女は言いました。

「いつも覚えていてください。皆さんは皆さんの内に強さ、忍耐、そして世界を変える情熱を持っているということを。」

 

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