エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Katherine Johnson」(2022 年 7 月)

 

 1969年、アメリカはアポロ11号により史上初の人類を月に送りました。この計画の間、一人の女性が重要な役割を果たしていました。彼女の名はキャサリン・ジョンソン。彼女はNASAで働く初のアフリカ系アメリカ人の数学者のうちの一人でした。これは彼女の物語です。

 ジョンソンは1918年にアメリカの小さな町で生まれました。彼女は幼少時から数学を愛しており、彼女の身の回りにあるもの全てを数えるということをしていました。例えば、彼女の通う教会までの歩数を数えていました。彼女は優秀な学生であり、彼女が14歳の時に高校を卒業しました。18歳の時、彼女は数学とフランス語で学位を取りました。その時代、ほとんどのアフリカ系アメリカ人は高校でさえ卒業する事はありませんでした。

 1953年、ジョンソンはNACAで働き始めました、その組織はのちにNASAとなりました。この頃、アメリカは宇宙計画をちょうど始めたところで、NACAは「人間計算機」としてはたらく、ジョンソンのような高度な数学の技能をもった人材を必要としていました。ジョンソンはアフリカ系アメリカ人だったので、彼女は彼女の白人の同僚とは離された建物で働かなければなりませんでした。トイレも同じように隔離されていました。不公正に扱われていたのですが、ジョンソンは言いました、忙しすぎてそれには気が付かなかった、と。彼女はこう言いました。

「私は他の誰より自分の重要性が少ないと感じた事は一度もありません。私は他の人と同じくらいに優れているけれど、だからといってより優れているわけではありません。」

 

 すぐにNACAの職員たちはジョンソンの秀でた計算能力に気がつき始めました。職員たちは彼女を信頼し、彼女は多くの主要な計画に参画しました。

 1961年、アメリカはアメリカ初の宇宙飛行士、アラン・シェパード、を宇宙空間に送りました。ジョンソンはこのプロジェクトのためのロケットの飛行軌道を計算し、シェパードは安全に地上に戻りました。一年後、ジョン・グレンが宇宙で地球周回をした初のアメリカ人となりました。この計画の計算にはコンピュータが使用されましたが彼のフライト前に、グレンはジョンソンに彼女自身でその計算をチェックしてくれるように依頼しました。彼は言いました。

「もし彼女が計算は正しいというのなら、その時私は行く準備がある。」

 計画は成功しました。

 1969年、ジョンソンはアポロ計画に参画しました。ニール・アームストロングが月面に彼の第一歩を得た時、世界中の人々がそれを観ていました。それは歴史上において偉大な瞬間でしたが、ジョンソンは地上への帰還についてのことを考えていました。もし一つの簡単な間違いでも存在したなら、宇宙飛行士たちは地球に帰ることはできなかったでしょう。またも、彼女の計算は完璧であり、宇宙飛行士たちは安全に帰ってきました。

 ジョンソンは1986年までNASAで働き続けました。彼女は2020年に101歳で亡くなりました。彼女の数学に対する情熱と彼女の仕事に対しての愛情が理由で、彼女は人類の宇宙探査に対して大きな影響を与えました。彼女は言いました。

「皆さんの好きなものに取り組んでください、そうすれば皆さんは皆さんのベストを尽くせるでしょう。」

 

プライバシーポリシー お問い合わせ