エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Edmund Hillary」(2022 年 8 月)

 

 「一番高い山の名前はなんでしょう?。」

 それはエベレスト山です。チョモランマと呼ぶ人もいます。その頂上に初めて辿り着いた人物を皆さんご存じですか?。これはその人の物語です。

 エドモンド・ヒラリーは 1919 年、ニュージーランドオークランドに生まれました。彼の父親は養蜂をしていました。そして若い頃のヒラリーはその家業を手伝っていました。彼は重い蜂の巣箱を運ぶことが彼を強くしたのだと、後に語りました。彼はまた、冒険の本を読むのが大好きでした。彼は学校に通い家に帰るのに毎日 3 時間電車に乗っていました。しかし、彼はその時間に読書ができるので、この通学時間を楽しんでいました。

 ヒラリーが 16 歳の時、彼はルアペフ山に学校の旅行で登り、生まれて初めて雪を見ました。彼はその、雪に覆われた山に魅了され、スキーと登山を始めました。彼は強く健康でしたが、運動はそれ程得意ではありませんでした。しかし、彼は特別な人でした。なぜなら彼は決して諦めることをしなかったからです。もし彼が何かを始めたならば、彼はそれを極めることに最善を尽くしました。

 後に、彼はニュージーランドで一番高い山に登りました。彼はまた、オーストラリアやスイスアルプスに存在する 6,000m より標高が高い山々に登りました。

 

 エベレスト山が 1850 年代に発見されてから、多くの冒険家たちがその、世界で一番高い山の頂上に立つことを夢見てきました。しかしながら、それらの冒険家たちの多くが山頂に達することを目指して亡くなりました。

 ヒラリーが初めて登頂を目指したのは 1951 年でしたが、それは失敗しました。そうして 1953 年、ヒラリーはまたの機会を得ました。その英国・エベレスト探検隊には、14 名の登山家、22 名のシェルパ、そして約 350 名のポーターが居ました。彼らは 3 月にベースキャンプを設営し、5 月に頂上から約 10,000m 離れた地点にもう一つキャンプを設営しました。他の二人の登山家がまず初めに向かいました、しかし彼らは失敗し戻りました。そして 5 月 28 日、ヒラリーとテンジンという名の熟練したシェルパが山頂付近にキャンプを設営しました。5 月 29 日午前 11 時 30 分、そのペアはその山頂にたどり着いた初めての人になりました。

 ヒラリーの冒険はそこで終わりませんでした。彼はヒマラヤ山脈や南極の探検を続けました。彼は冒険を愛していましたが、彼が探検した場所に暮らす人々のために何かをすることもまた、望んでいました。そして 1960 年代に彼は、病院や学校を建てるためのヒマラヤントラストと呼ばれる財団を創立することを援助しました。ヒラリーはまたネパールの環境を大切にすることについて話をすることもしていました。彼は言いました。

「エベレスト山に登頂してから後の私の人生はより、大切な物です。」

 ヒラリーの肖像が現在のニュージーランドの 5 ドル札に在ります。そして、彼は人々に愛され続けています。ヒラリーは言いました。

「我々が征服するのは山ではなく、私たち自身である。」

 

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