エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Agatha Christie」(2022 年 8 月)

 

 アガサ・クリスティは「ミステリーの女王」として知られています。彼女は 66 の探偵小説を書き、史上最も売れた作家のうちの一人となりました。彼女のものよりも売れたのは、聖書とシェイクスピアの本だけです。これら全ての物語のアイデアを、彼女はどのようにして考えつくのでしょう?。クリスティは言いました。

「話の筋は奇妙な瞬間に私のところへ来ます。私が道に沿って歩いている時や帽子屋さんを眺めている時…突然に素敵なアイデアが私の頭に浮かびます。」

 

 アガサは 1890 年にイギリスのトーキーと呼ばれる町に生まれました。彼女の父親は裕福なアメリカ人でした。そして彼女の母親はイギリス人でした。アガサは彼女が幼少の頃には学校に通っていませんでした。代わりに彼女は家庭で、主に父親に教育を受けていました。彼女の母親は彼女が大きくなるまでは本を読んで欲しくありませんでした。しかし、アガサは家で孤独にすごし、彼女の父親の書斎で多くの時間を費やしました。彼女は彼女自身で本を読むことを学びました。

 アガサは幸せでしたが、同じ年頃の友人が全くいませんでした。彼女の友人は彼女の家で働く召使い、というような大人たちでした。ですから、彼女は彼女の心の中で物語を作ることに時間を費やしていました。彼女は人物を創り出し、彼らの冒険譚を想像し楽しむことが大好きでした。この頃のことが彼女の物語を創作する驚くべき才能に大きな影響を与えたのかもしれません。彼女は言いました。

「人生に於いて起きる可能性のあるもので最高なもののうちの一つが、幸せな幼少期を過ごすということです。」

 アガサは大病を患い、ベッドで多くの時間を過ごしたことがあります。彼女の母親は彼女に彼女の頭の中にある物語をノートに書き下してみるということをアドバイスしました。このことはアガサの作家人生に於けるあゆみのうちの一つでした。彼女が 10 代の頃、彼女の詩が雑誌「The Poetry Review」に掲載されました。そして小説を書くこともこの頃始めました。

 

 1914 年、アガサはパイロット、アーチボルド・クリスティと結婚しました。第一次大戦中、彼女は薬剤師の助手として病院で働きました。彼女はこの時期に毒について多くの知識を得て、この知識が彼女がたくさんの殺人事件ミステリーを書くことを助けました。そして 1920 年、彼女の初のミステリー小説「スタイルズ荘の怪事件」が出版されました。これは彼女の作品の人物、ポアロが登場する初めての本です。彼女はのちにアーチボルドと離婚し、1928 年に彼女の夢だったオリエント急行での旅行をしました。彼女はこの時に、将来の夫、マックス・マローワンと出会いました。彼は考古学者で、クリスティよりも 14 歳下でした。

 クリスティは物語を書くだけではなく、戯曲も書きました。彼女はもともと「ねずみとり」というラジオドラマの脚本を書き、そしてそれを戯曲化しました。それは 1952 年にロンドンのウェスト・エンドで初演され、世界で最も長い期間公演をした演劇です。クリスティは 1976 年に亡くなる前の年まで小説を書き続けました。クリスティは彼女の著作のなかにこう書きました。

「人が存在する場所全てに、ドラマがある。」

 

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