エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Ino Tadataka」(2022 年 9 月)

 

 今日、皆さんはスマホ上の地図アプリを使うことで迷うことなく世界のどこへでも行くことができます。そのアプリは皆さんに、そこにたどり着くまでどの位かかるか正確に伝えてくれます。では、歴史を振り返りましょう。今日の地図は昔の地図よりより遥かに良いものだと、皆さんは考えますか?。日本においてはそれは違います。100 年前、伊能忠敬と呼ばれる人物が日本の地図を創りました。もし皆さんが伊能の地図を日本の衛星写真の上に重ねたら、それはほとんど一致するでしょう。

 

 忠敬は 1745 年に今日では千葉県と呼ばれる場所に生まれました。幼少の頃、彼は数学を学ぶのが好きでした。17 歳の時、彼は伊能家出身の女性と結婚しました。そうして彼の名前は伊能忠敬となりました。伊能家は酒蔵でありまた、その他の家業も営んでいました。伊能家の家業は上手く行って居ませんでしたが、伊能はこれをより強く立て直しました。49 歳の時、彼は引退し、天文学、宇宙と星々の学問、を高橋至時の元に学ぶため、江戸に向かいました。髙橋は中国の天文学も、ヨーロッパの天文学も、どちらもの沢山のことを知って居ました。伊能は科学的な技術を用いて距離を測定する方法を、髙橋から学びました。伊能は考えました。

「私は地球がどのくらい大きいのかを知りたい。」

 先ずはじめに、彼は深川から浅草間の距離を測ることをしました。彼は一歩が 69 cm であることを確認し、そこにたどり着くまでの歩数を数え測りました。しかしながら、髙橋は彼に、地球の大きさを計算するためにはもっと多くの距離を歩いて測る必要があることを告げました。その当時ではしかし、旅行するには許可が必要でした。そしてその許可を得るのは簡単なものでは有りませんでした。それで伊能と髙橋は計画を企てました。彼らはロシア船が蝦夷、現在の北海道、に現れたことを知りました。日本はその当時鎖国していましたが、ロシアはその状況を変えたがっていました。それで伊能は幕府に願い出ました。

「日本をロシアから守るために、私は蝦夷の地図を作成することができます。」

 

 彼の本当の目的は江戸と蝦夷の距離を測ることでした。その距離は地球の大きさを計算するためには十分な距離でした。そうして伊能と彼の隊は土地を測量するために半年をかけました。その地図は幕府の心を動かし、その結果彼らは他の土地の地図も作るよう命じられました。その時から 17 年かけて地図を作るために日本をまたぎ歩きました。彼は全 225 ページのその地図が完成する 3 年前に亡くなりました。その地図はイギリスの地図の専門家が驚くほどに良い質のものでした。

 伊能が亡くなった時は 73 歳で、40,000 km 以上歩いていました。これは地球を一周するよりも長い距離です。彼は言いました。

「あなたの夢に従う事には、早すぎるということも、遅すぎるということもない。あなたがやるか、やらないかどうかだ。」

 

プライバシーポリシー お問い合わせ