エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Ogata Sadako」(2022 年 9 月)

 

 皆さんは緒方貞子という名前、また彼女が難民を援助しているということ、を聞いたことがあるかもしれません。しかし、彼女は正確には何を行ったのでしょうか?。彼女は身長たった152 cm だけれど人々の暮らしを大きく変えることを行ったので、緒方を「小さな巨人」だと呼ぶ人もいます。これは彼女の物語です。

 

 緒方は 1927 年に東京に生まれました。彼女の曽祖父は、日本の軍部に同調しなかったために暗殺された犬養毅元首相でした。

 彼女の父親は外交官だったため、緒方は彼女の幼少時をサンフランシスコ、中国、香港で過ごしました。彼女は 1930 年代後期に日本に戻りました。緒方が 17 歳の時、東京でアメリカによる爆撃があった後、長野県に転居しました。緒方はアメリカに多くの友人たちを持っていました。彼女は彼女の友人たちの国が日本に爆弾を落とし続けることを悲しみました。

 大学を卒業後、緒方はアメリカに留学しました。そこで彼女はアメリカは大変に豊かであることを知りました。彼女は何故日本がこれほど強力な国に対して戦争を始めたのか知りたいと思いました。そして彼女は満州事変や第二次世界大戦に至るまでの出来事について研究し、執筆しました。アメリカにおいても、日本においても、人々は緒方の研究に関して良い評価をしました。

 

 緒方は結婚して子供を育てました。しかし、彼女は学び続けました。そうしてある日、彼女は国連で働くことを要請されました。そののち、彼女が 63 歳の時の 1991 年に、緒方は国連難民高等弁務官事務所、UNHCR、の高等弁務官に就任しました。

 この業務を始めてからわずか数ヶ月後、緒方は大変難しい問題を解決しなければなりませんでした。イラク北部で、クルド人と呼ばれる民族がイラク政府を排除しようとしましたが失敗に終わりました。この結果、クルド人イラク国内に安全な状態で留まることができなくなり、40万人余りの人々がトルコに向かおうとしました。しかしながらトルコは彼らを中に入れようとはしませんでした。クルド人イラク国内に留まらざるを得ませんでした。その時、国連難民高等弁務官事務所は自分自身の国にいる人々は難民ではない、と言いました。このことが意味するのは、クルド人国連難民高等弁務官事務所からのどんな援助も受けられない、ということです。しかし緒方は彼らを助けたいと思いました。それで彼女は規則を変えることを決めました。規則を変えることはほぼ不可能なことでしたが、彼女はそれをやり遂げ、クルド人を救うために、素早くそれを行いました。彼女はイラク政府と困難な交渉を行い、そして素早く避難キャンプを設置しました。

 緒方はまた、ボスニアルワンダ、そしてその他多くの地域の難民も援助しました。彼女は戦争の被害を受けた地域を訪れ、助けを必要とする人々を援助しました。この小さな巨人は 2019 年、92 歳で亡くなりました。彼女は言いました。

「文化や宗教、信仰が同じかどうかは関係はない。大切なのは助けを必要とする人々の暮らしを救うことです。」

 

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