エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Rachel Carson」(2022 年 10 月)

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 「アメリカにかつて小さな町がありました。この町では全ての生命が平和に、一緒に暮らしていました。その時、幾らかの白い粉が町全体に雪のように降りました。直ちに植物や動物や昆虫たちは全て、死に絶え始めました。」

 これはノンフィクション科学小説、「Silent Spring」の冒頭のおはなしです。その「白い粉」とは化学を用いた、昆虫類を駆除するための殺虫剤のことでした。この本の著者は科学者であり作家である、レイチェル・カールソンでした。カールソンはこの本の中に、環境を守るということについて書きました。その本はベストセラーになり、それが理由でより多くの人々が環境について注意を払うようになりました。彼女のことを「環境運動の母」と呼ぶ人々もいました。これは彼女の物語です。

 カールソンは1907年にアメリカの小さな町に生まれました。子供の時、彼女は小説を書くこと、そして自然が大好きでした。大学で生物学について学んだ後、彼女はアメリカ政府でパートタイマーとして働き始めました。彼女は海洋についてのラジオ番組の脚本家でした。彼女の作家としての才能はそこで開きました。多くの人々、科学ファンだけではなく、は彼女の番組が好きでした。1941年から1955年の間、カールソンは海洋に関する3冊の本を執筆しました。それらの本はとても有名になりました。1958年のある日、カールソンは友人から一通の手紙を受け取りました。それにはこう書いてありました。

「私の家の近くの鳥たちが死につつある。私が思うに殺虫剤、DDT、が昆虫のみならず鳥たちも殺しているのだ。 」

と。

 

カールソンはこれについてもっと多くのことを知りたいと思いました。そして彼女は海洋についての本を書くのをやめ、DDT についての本を書くことを決めました。彼女は考えました。

「私たちはこれらの化学物質についてあまり多くのことを知らない。もし、私たちが DDT をあらゆるものに噴射したとしたなら、植物の問題、動物の問題、そして人間の問題にも、発展するかもしれない。」

 4年間以上に渡る調査の後に、Silent Spring が1962年出版されました。たくさんの人々がこれを読み、強い反響がありました。カールソンがこのことについて執筆したことに対して感謝する人もいました。一方逆側の人々、特にに大手化学薬品製造会社に属する人々はこれに対して反感を持ちました。彼らは怒り、彼女に対して酷いことを言いました。しかし彼女はそれを止めませんでした。彼女は人々に言い続けました。

「人類は自然の一部である。だから、自然を害すると人類をも害することになる。」

カールソンは Silent Spring が出版されてから2年後に癌のため亡くなりました。しかし、彼女の物語はここで終わりにはなりません。彼女の本が理由となり、活動を起こすことを決めた人々がいました。そしてのちに1972年、DDTアメリカではもう販売することが出来なくなりました。

 今日、我々はほとんど毎日のように環境保護についての事を耳にします。Silent Spring は1960年台に書かれたのにも関わらず、カールソンの素晴らしい小説と自然に対する愛情は、世界中の人々の気持ちを揺り動かし続けています。

 

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