エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Chiri Yukie」(2022 年 12 月)

 

 アイヌ民族は日本北部、特に北海道、の先住民族です。アイヌは書き言葉を持ちませんので、彼らは彼らの子供たちに彼らの歴史と文化を物語を話すことで教えました。1800年代後期、明治政府は日本の本州から北海道に人民を移住させ始めました。アイヌは彼らの多くの土地を失いまた、彼らの伝統的な生活を強制的に諦めさせられました。このためにアイヌが彼らの伝統を伝えていくことは困難になりました。しかし、一冊の本がこの状況を救いました。重要な人物は知里幸恵アイヌ民族若い女性です。これは彼女の物語です。

 知里は1903年に生まれました。彼女が6歳の時、彼女は彼女の伯母と祖母と暮らすことになりました。祖母は熟練した謡い手でした。祖母の神謡を聴くことで、知里アイヌの生活について学びました。地元の小学校ではアイヌは彼らの言葉を話すことが許されていなかったために、知里は日本語も学びました。

 彼女が15歳の時、知里金田一京助という東京からの言語学者に会いました。彼はアイヌ文化を保護することに尽力しており、知里の祖母と話をしたいと思っていました。知里金田一アイヌ文化について学びたいと熱意を持って欲していたことに驚きました。彼女は思いました。

「私もアイヌ文化を守るお手伝いをしたい。」

 

 金田一知里の言語能力を認めていました。彼は彼女に、東京で彼の仕事について彼を補助してもらいたいと思っていました。しかし、彼女の心臓は大変弱く、彼女は手伝いに行くことが出来ませんでした。そのため金田一知里にノートを送り、それにアイヌの物語を書き記してくれるよう依頼しました。知里は物語をアイヌ語と日本語の両方で書き記しました。彼女はアイヌ語の音を、日本語とローマ字を用いることで書きました。金田一は彼女の働きに驚きました。知里アイヌの物語を翻訳するということだけではなく、アイヌ民族の毎日の暮らしについても多くを書きました。金田一アイヌ民族についての本を著したいと思い、知里に再び彼を助けるために東京へ来るように頼みました。

 その際に、知里は東京に向かいました。彼女は金田一とその家族と一緒に暮らし、それら物語が正しく翻訳されているかを確認するために彼を助けました。ある時知里は心臓発作を得て病床に着かなくてはならなくなりました。しかし、彼女は取り組み続けました。ついに1922年9月18日、彼女はその本の最終ページの確認を終えました。悲しいことに、知里はその日の夜に亡くなりました。彼女はまだたったの19歳でした。

 知里の死の一年後、彼女の本は出版されました。知里は彼女の本の中に、

「多くの人々が私の本を読んでくれたら、それは私や私の民族を幸せにしてくれます。」

 多くの人々はその本を読み、アイヌの生活の様式について初めて学びました。

 アイヌ民族は書き記された歴史を持ちませんが、知里の尽力により、アイヌの人々は彼らの物語を世界中の人々に伝えることができます。

 

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