エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Sakamoto Ryoma」(2023 年 1 月)

 

 1800年代後期の日本、江戸幕府はその終わりに差し掛かっていました。そして新しい明治時代が始まろうとしていました。この時期に主要な役割を果たした人物が、坂本龍馬です。これは彼の物語です。

 坂本は1835年、今の高知県で侍の家のもとに生まれました。彼の家は土佐藩、土佐領域、の一員でした。

 1853年、坂本は彼の剣術を向上させる為に江戸に向かいました。同じ年、黒船が江戸湾に来航しました。その時代、日本は海外の国と殆ど交流を持っていませんでした。そして多くの人々と同じように、坂本は外国人たちを日本の中に迎える事は良くないことだと考えていました。しかしながら、河田小龍西洋文化について多くを知る画家、との会って話をしたのちに、彼の考え方が変わりました。坂本は思いました。

「開国は国の近代化を進めるものになるだろう。」

 そのすぐ後、彼は長崎に移りました。そこでは彼は勝海舟日本海軍の軍艦奉行並、に師事しました。勝は江戸幕府の高級官僚でした。彼は日本の近代化を信じていました。勝は坂本に艦船についてのことを教えました。勝は坂本のリーダーシップ能力に気がつき、彼を彼の海軍塾の塾頭になるよう命じました。

 

 この時代の頃には、より多く、より多くの人々が江戸幕府の崩壊を望みそして、天皇が政治的な力を取り戻すことを望んでいました。また、力のある長州藩とその長州藩に反目する薩摩藩は、どちらも徳川幕府を倒幕しようとしていました。勝は幕府を支える為に江戸に呼び戻され、海軍塾は廃止されました。坂本は彼の職を失い、そして彼は武器も扱う貿易商社を設立しました。坂本もまた、倒幕側に居ました。そして彼は考えました。

「もし長州と薩摩が手を組んで動いたのなら、江戸幕府を終わらせることができるかもしれない。」

 坂本は長州は武器を必要としていること、そして薩摩は米を必要としていることを知っていました。そして彼の商社を使うことで彼は薩摩には長州に武器を送らせ、長州には薩摩に米を送らせることをしました。1866年、二つの強力な藩は手を結びました。

 1867年6月、長州は幕府を攻撃する計画に着手しました。坂本は暴力的な攻撃には反対でしたから、彼は、国を近代化するというプランを立案しました。この案は天皇に政治的な力を奉還するということも含んでいました。この案は徳川慶喜将軍に提示され11月初め、江戸幕府無血開城しました。

 約ひと月後、坂本は幕府側の者たちにより京都にて殺害されました。それは彼の33回目の誕生日でした。彼の死後すぐ、国は近代化を始めました。坂本の人生は突然に終わりましたが、彼の日本を変えるという強い意志や彼の魅力的な人物像が国の近代化に向けて、人々の意識を変革しました。

 

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