エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Saigo Takamori ~A Gentle Hero~」(2021 年 4 月 放送)

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 西郷隆盛徳川幕府政権を廃止し、明治時代の新しい政府を作るために尽力した侍です。彼は今日では大変人気があります。なぜなら、彼はとても強い指導力を持つリーダーであり、親切で他人をいつも助けたいと願う人物だったからです。

 

 西郷は1827年に薩摩藩に生まれました。これは今日では鹿児島県の一部となります。彼の父親は侍でしたが、上士ではありませんでした。西郷は13歳の時、悪い怪我を負いました。それで武道の訓練はできませんでした。彼は時間を勉学に使い、そして後年これが彼を助けました。彼は働き者で、薩摩藩の藩主、島津斉彬により、日本政府の形を変えることを目的に登用されました。しかし、徳川政府は変化を求めませんでした。島津斉彬の突然の死により西郷は失脚し、2度、苦難におちいりました。

 

 初めに、薩摩藩徳川幕府の目から西郷を隠す目的で、彼は奄美大島に流されました。薩摩藩徳川幕府と戦いたくはなかったのです。西郷は島の権力者の家族の女性と結婚しました。奄美大島で二年過ごした後、薩摩藩は経験者を必要としていたため、また、彼の友人たちが西郷の助けになりたいと思ったため、彼は薩摩に戻ることになりました。

 薩摩でたったの4ヶ月過ごした後に、西郷は薩摩藩の藩主と揉め事を起こしました。この際には彼は、沖永良部島と呼ばれる、本当に遠く離れた島に送られました。この島での暮らしは、西郷は食事を得るのにも苦労するほどに大変でした。それでも、彼は懸命に働くことを続けました。彼は島の権力者と懇意になり、新しい法律を作ることを助けました。二年後再び、彼の友人たちのおかげで、彼は故郷に戻りました。

 

 薩摩に戻り、西郷は再び活力をもどし、薩摩藩長州藩が力を合わせる手助けをしました。そうして、彼は江戸城明け渡しを、無血にて行いました。この事は徳川幕府の終わりを導きました。人は、彼は江戸の100万の民の命を、戦う事なしに話し合いにより救ったのだと言います。彼は徳川幕府幕臣勝海舟と話し合いました。勝は言います。「もし、私が西郷と会談しなかったならば、物事は悪く終わった事だろう。」と。

 

 今日、皆さんが奄美大島に行くことがあれば、西郷のことを良く言う多くの人々に出会う事でしょう。タクシードライバーはあなたに言うかもしれません。「知ってます?。西郷さんがこの地に住んでいたんですよ。」と。或いは、沖永良部島に皆さんが行くことがあれば、西郷に関連した民謡を耳にするかもしれません。

 西郷はいつも人々に耳を傾け、彼の友人たちを助けました。そして彼が苦難に陥った時、彼の友人たちは彼を救いました。彼の懇意の人に、或いはそうではない人達両方に向けられた西郷の人情は、彼を偉大な指導者へと成しました。

 

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