エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Tabei Junko ~Mount Everest's First Woman Climber~」(2022 年 2 月)

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 エベレスト山への登山を行うことは難しく、危険で、ほとんど考えられません。登山家は数ヶ月、あるいは数年間、準備を行います。山頂付近に辿り着いた時、十分な大気は存在せず、些細な失敗が人の命を奪います。1975年、エベレストの山頂に初めて女性が登頂しました。彼女の名は田部井淳子です。

 田部井は1939年、福島県に生まれました。彼女は運動が特に得意というわけでは有りませんでしたが、10歳で初めて山に登った時、彼女はそれをとても楽しみました。「山頂にたどり着ける唯一の方法は、一歩一歩進むだけだ。自分が山頂に達した時感じる喜びは、日々の暮らしでは味わえないものだ。」登山は彼女を幸せに、そして強くさせました。

 大学を卒業後、田部井は時間と活動力をより多く登山に注ぎ込みました。彼女は仕事の後に山に登り、次の朝山から戻り降りて、そのまま仕事に行くことも有りました。

 

 1969年、彼女は女性のための登山クラブを設立しました。彼女たちの目標は彼女たち自身で世界の最高峰に向かい、登山することでした。彼女たちの、初めての挑戦である1970年のヒマラヤ山は、成功しました。そして次に、彼女たちはエベレスト山に登山することを決めました。

 ただし、彼女らが登る以前にも、多くの挑戦者は存在しました。田部井に対し、エベレストは女性にとっては危険な場所だと言う向きもありました。さらに、彼女は家で彼女の子供たちの面倒を見るべきだという者もありました。しかし、彼女は彼らの言うことは聞きませんでした。スポンサーを見つける事にもまた、困難さがありました。しかし、彼女は旅に立つ直前に二つのスポンサーを得ました。新聞社とテレビ局です。

 エベレストに到着した後もまた、物事は困難でした。雪崩が彼女たちのキャンプを襲いました。そして田部井は5分以上にわたり雪の下にいました。幸運なことに、シェルパのガイド、山のエキスパート、が彼女を雪から掘り上げました。彼女は死ぬ寸前でしたが、田部井は進み続けたいと望みました。そうして、1975年5月16日、彼女はエベレスト山頂に登頂した初めての女性となりました。

 

 田部井はまた七大陸最高峰全てに登頂した初めての女性でもあります。彼女は登山を辞めることはありませんでした。彼女に癌が見つかった時でさえも入院時以外は登山を続けました。彼女にとって、登山とは生き方でした。田部井は2016年10月、77歳で亡くなりました。

 彼女の後年、田部井は東日本大震災に被災した高校生と一緒に富士山に登りました。彼女の最後の富士山への登山は2016年7月でした。これは彼女が亡くなる前のたった三ヶ月前のことでした。彼女は学生たちに言いました。「物事が困難で在るときにさえも、一歩一歩物事を成す。そうすれば、皆さんは皆さんの目標に辿り着けるでしょう。」と。

 

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