エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Japan Helps Polish Orphans」(2023 年 10 月)

 

 2022 年 10 月、ポーランドワルシャワにある日本大使館にて、あるパーティが開催されました。このパーティにおいて、あるポーランド人の来賓が言いました。

 

「日本は私の家族を救ってくれました。もし彼らがそうしなかったならば、我々はここには存在することはなかったでしょう。」

 

 1920 年から 1922 年の間に合計で 765 人のポーランドの孤児たちが日本に受け入れられました。このパーティはこの事が在ってから 100 年を祝うために開催されました。どうしてそのような事が在ったのでしょうか?。この驚くべき物語を聞く事で、それを見出しましょう。

 18 世紀後期、ポーランドはロシア、オーストリア、そしてプロイセンにより接収されました。新しいポーランドを建国しようと努力するポーランド人も居ましたが、ロシア帝国に捕らえられ、シベリアに送られました。その後、1917 年、ロシア革命が起こりました。シベリアにあるポーランド人コミュニティに加わるために、ロシアに暮らす多くのポーランド人が逃げ渡りました。悲しいことに、多くの人々が亡くなり、多くの子どもたちが彼らの両親を失いました。これらの孤児たちは貧しく、飢えていました。

 1918 年、ポーランドは再び独立国家となりました。そして、救済組織がそれら孤児たちを祖国に戻したいと考えました。しかし、救済組織は革命のため、ロシア全土を移動する事ができませんでした。彼らは別の道を見つけなくてはなりませんでした。彼らは多くの国へ対し、孤児たちを救ってくれることを依頼しました。しかし、最終的に日本以外の国はどの国も救済に同意しませんでした。日本赤十字社とその他いくつかの団体が孤児たちの救済の要請を受けました。

 

 1920 年、孤児たちの第一陣が福井県敦賀港に到着しました。彼らは東京に迎え入れられました。孤児たちは食物と手厚いもてなしを受けました。1922 年、第二陣が到着し、大阪に迎え入れられました。世間はこれら孤児たちに大変興味を持つようになりました。多くの人々が援助をしたいと思い、人々は食糧や募金、そしてその他の物資を寄付しました。その際、皇后様もが彼らを見舞うために行啓された程です。滞在中、孤児たちは遊んだり、動物園のような観光地へ迎え入れられたりしました。彼らは逞しく、健康的になりました。そうして彼らはポーランドへ帰り戻る旅を、続けました。皆が故郷へ安全に戻りました。

 孤児の一人はのちにこう言いました。

 

「看護師の方々は、まるで私を彼ら自身の子息たちのように、親切に扱ってくれました。」

 

 この物語はポーランドでは大変有名なものです。ですから 1990 年代にポーランドの人々は喜んで日本を助けてくれました。1995 年、関西地方での地震の被害を受けた子どもたちを暖かく受け入れてくれました。日本とポーランドの間の友情は、続いています。

 

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