エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Building the Empire State Building」(2023 年 12 月)

 

 皆さんはテレビ番組や映画の中で、ニューヨークのエンパイアステートビルを見たことがあるかもしれません。そのビルは 100 階以上を持つビルとして世界初のものであり、またそれはほぼ 1 年で建てられたものです。このことがどのように行われたのかどうか、詳しく知っていきましょう。

 ニューヨーク市に新しい、高いビルディングを建設するという計画が 1929 年の夏に発表されました。同じ年の 10 月、大恐慌が起きました。アメリカにとって苦難の時でしたが、そのことがエンパイアステートビルを建築する上での労働者を集めるのを容易にさせました。次の年の春には労働者たちは建築作業を始め、合計 3,500 名が建設に参加しました。

 これらの作業者はどのような人物たちだったのでしょう?。彼らの多くはイタリア、アイルランド出身でした。モホーク族出身のネイティヴアメリカンもまた多く居ました。モホーク族の人々は高所での作業を恐れることがなかったので、「モホーク・スカイウォーカー」と呼ばれました。これらの技能は子や孫たちに受け継がれ、モホーク族の人々はアメリカの大きな都市にある多くのビルディングの建設に携わりました。モホーク族のような勇敢な技能労働者がエンパイアステートビルの建設に尽力しました。モホーク族やその他労働者の写真が本当に多く残っています。ビルディングの高所で、くつろぎ、喫煙をし、睡眠さえも取る彼らを見ることができます。

 建設作業者は極めて組織化されていました。建設に必要なすべてのもの、例えば鉄骨やレンガなどをエレベータまで運ぶための小規模な列車が地下に存在しました。そうしてエレベータは上階へと資材を運んだのです。作業者が彼らの昼食をわざわざ買いに降りて行かないで良いように、ビルディング内にはレストランさえ在りました。時には一週間で 4 階半を建設する程に、皆がすばやく作業していました。

 1931 年 5 月 1 日、エンパイアステートビルは竣工しました。たったの 1 年と 45 日間で、彼らは 381 メートルのビルを建設したのです。

 

 エンパイアステートビルはすぐに有名になりました。そして多くの人々が展望台を訪れました。残念なことに、大恐慌のため多くのテナントは空き室のままであり、数年は「エンプティステートビル」と呼ぶ人も居ました。しかし経済が回復した際、より多くの企業が入居しました。そして 1940 年代後期には事務所はすべて埋まっていました。毎日 15,000 人の人々がそのビルで働いていました。

 エンパイアステートビルは 40 年近く世界一の高さのビルで在り続けました。今日、そのビルは今もなお世界中の人々より愛されています。もし皆さんが訪れることがあれば、この物語を思い出していただければ、幸いです。

 

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