エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Donating the Gift of Life」(2024 年 3 月)


 2018 年 5 月 11 日、81 歳のオーストラリア人の男性が、彼の人生最後の献血をしました。彼は献血を 60 年間以上にわたって続けていました。そして彼の血液は約 240 万人の赤ちゃんたちの命を救いました。この事はどのようにして起きたのでしょう?。この驚くべき物語を見ていきましょう。

 1951 年、ジェームズ・ハリソンが 14 歳の時、彼は彼の片側の肺を取り除く外科的手術を受けました。この手術中、ジェームズは約 8 リットルの輸血を受けました。

「私の命を救うために血液が与えられました。」

 この経験から、ジェームズは自分は人々を助けたいのだということに気づきました。オーストラリアでは、 18 歳になった時に献血ができます。それで、ジェームズは注射が嫌いなのにも関わらず 18 歳になるとすぐに献血することを始めました。

 ほぼ同じ時期に、オーストラリアの科学者たちは毎年数千の赤ちゃんがなくなり続けて居る理由を見出そうと研究していました。とうとう 1960 年代中期、科学者たちは母親と彼女らの子の持つ血液型が異なる際に問題が存在することを発見しました。ほとんどの人々は RH+ の血液を持っていますが RH- の血液を持つ人もいます。もし RH+ の血液をもつ妊婦が RH- の赤ちゃんを身ごもると、赤ちゃんは死に至る場合があります。科学者たちはこの問題を医薬品で解決できるかもしれないと考えました。ですがこの薬を製薬するためには特別な化学物質が彼らの血中にある誰かを、科学者たちは国じゅう探さなければなりませんでした。ジェームズはこの化学物質を持っていたのでした。

 

 「科学者たちは私に、研究に与してくれることを依頼しました。」

すぐに科学者たちはジェームズ由来の血液を、抗D人免疫グロブリン製剤と呼ばれる医薬品を製薬するために使いました。ジェームズは彼が血液を提供すればするほど、多くの赤ちゃんが助かるのだと知りました。2018 年まで、ジェームズはほぼ毎週血液を提供しました。彼は彼の孫、スコット、の命を救うこともしました。彼は 1,163 回の献血を彼の右腕から行い、10 回彼の左腕から献血しました。このことについてジェームズは言いました。

「これは私の思い込みに過ぎないかもしれないが、左腕では注射針が痛いのだけれど右腕ではそれを感じない。」

 ロビン・バーロウ、1960 年代にジェームズを見つけ出した科学者、は言います。

「私はジェームズのような方に会ったことはありません。彼は大変丈夫な静脈を持っています。これまでにオーストラリアで製薬された全ての抗D製剤の薬瓶は、その中にジェームズ由来のものを持っています。」

 

 科学者たちはどうしてジェームズがその特別な化学物質を作れるのか確実に解明できてはいませんが科学者たちは、ジェームズが 14 歳の時に輸血された血液がそれに関与して居るのかもしれないと考えています。ジェームズは献血を続けたかったのですが、81 歳を超えての献血は彼には危険であると医者たちが判断し、医者たちは彼にやめるように頼みました。彼の最後の献血の日、ジェームズは言いました。

「私はどなたかが私よりも多く献血してくれることを期待しています。なぜならそれは、本当に誰かを救いたいと思って居るということを意味するからです。」

 ジェームズは誰かが人生の贈り物を提供し続けてくれることを望んでいます。

 

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