エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Canned Bread」(2024 年 5 月)

 

 みなさんが「缶パン」という言葉を聞いた際、救急箱に入った硬いビスケットを思い浮かべるかもしれません。今日は、私たちは柔らかい缶パンに焦点を当ててみます。このパンはどのように発明されたのか、見ていきましょう。

 

 私たちの物語は阪神淡路大震災の有った 1995 年 1 月 17 日に始まります。秋元義彦さんと言う名のパン屋さんが震災を援助したいと思い、神戸周辺にパンでいっぱいのトラックを送り出しました。しかしながら、それを届けた四日後に、パンの上に緑カビが生えたと言うことを伝えられました。彼は長持ちするパンを作ることはできないのかと依頼されました。

「みなさんは ’良いパンを作るのがあなたの使命なのでは?’ と仰られました。このことが私に新しいタイプのパンを作るモチベーションを与えてくれました。」

 

 秋元さんは野菜の缶詰にひらめきを得ました。野菜の缶詰は長い間持ちます。パンの缶詰が作れるかもせいれません。秋元さんは仕事に取り掛かりました。彼は缶の中にパンを入れ、三日後にわくわくしながらそれを開封しました。しかし、内部のパンはカビを纏っていました。それでもなお、秋元さんは諦めませんでした。

「空気が、その中にカビを含有しているのだ。」

 カビは熱によって滅されます。そうして秋元さんはパンを缶の中で焼き、オーブンから出してすぐにそれを封しました。彼が缶をあけた時、パンは新鮮でした。しかし一部のパンは缶にくっついてしまいました。これを解決するため、秋元さんはベーキングペーパーを使用することを試しました。しかし、缶の中のパンは数日すると湿ってしまいました。彼はあったかいパンから来る蒸気が、缶の内部を湿らせることを発見しました。それで彼は日本の伝統的な障子に用いる和紙を試してみました。

「和紙は空気が含む湿気の量を調節できます。」

 さまざまなタイプの紙を試したのち、秋元さんはついにうまく働くものを見つけました。1996 年の 9 月、彼の缶詰パンは整いました。そして彼はそれを売り出し始めました。

 すぐに、多く、多くの企業が秋元さんのパンを買い求めました。しかし数年後、問題が生じました。ある企業が古くなったそれらのパンを回収してくれないかと秋元さんに依頼しました。企業は古くなったものを新しい缶詰パンに置き換えるために購入すると言いました。

「このことは、私の缶詰パンが無駄だったのかなと思わせました。それは私を悲しい気持ちにさせました。」

 

 そうして 2004 年、インドネシアスマトラ島近郊で大きな地震がありました。秋元さんは彼の缶詰パンを震災の被害者へ向けて送付しました。この経験が彼にあるアイデアを与えました。秋元さんが企業に売却したパンは三年間持ちます。二年後に、秋元さんは未使用のパンを集めました。そうして、これらのパンを食糧が必要な人々に届けました。例えば 2022 年 3 月、ポーランドウクライナ難民にパンは送られました。人々は、パンはまるで甘いケーキのようで、人々はこれを気に入りました。

 

 秋元さんの柔らかく、甘い、缶詰パンは日本と世界中の人々を援助し続けています。

 

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