エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Shinkansen」(2024 年 5 月)

 

 新幹線開通以前、東京大阪間を電車で旅するのに六時間半かかっていたと言うのをみなさんはご存知でしたか?。今日は私たちは、優秀な技術者たちの一団がどのように世界的に有名な「ブレットトレイン」を開発したのか、を見ていきます。

 

 私たちの物語は 1950 年代に始まります。その当時、電車の代わりに飛行機や乗用車での旅行をする人々がより多くなり始めていました。この課題を解決するために才能のある技術者たちが日本中から新幹線計画のために集められました。目標は時速 200 km/h で走行できる列車を開発することでした。

 車両の設計を担当した技術者は三木忠直氏でした。第二次世界大戦中、三木氏は神風パイロット、特攻隊、が使用する航空機の設計に従事していました。彼はとても多くの若者たちが彼の航空機に乗り亡くなったことを悲しんでいました。戦後、三木氏は鉄道会社に勤めました。彼は鉄道工学は平和のための工学だと考えたからです。

 高速鉄道に関して、三木氏は良い形状が重要だと考えました。彼は屡々言いました。

「デザインが美しければ列車は、空気中を速く、滑らかに移動するだろう。」

 田中真一氏は三木氏と働いた技術者です。彼は新幹線車両の試作モデルを多く作りました。しかし毎回、三木氏はダメだと言いました。三木氏がとうとう、ある試作に対しいいだろうと言いました。そうして彼らは風洞実験設備機器を用いてテストしました。彼らは航空機の先端に似たデザインを採用しました。

 

 次に、車輪を有する台車部を開発する時です。担当技術者は言います。

「当時日本での最高速の列車は 110 km/h で走りました。200 km/h で何が起こるかは誰もわかりませんでした。」

 テストの間、200 km/h にスピードが達した際、車輪は揺れ始めました。もし揺れがさらに悪くなれば、列車はレールを外れるかもしれません。それは大事故になるでしょう。その技術者は数日考えました。そして彼は解決策を思いつきました。左、右と動く車両を、車輪に金属のプレートを付加することで抑えました。そして、そのプレートが上下に動くのをゴム片の部品を使用することで止めました。今が、試験区間で試運転する時です。

 

 1963 年 3 月 30 日、技術者たちは新幹線に乗車し、試運転が始まりました。まず始めには、事は上手く行っていました。しかし列車の速度が 200 km/h に達した時、車両は揺れ始めました。皆は緊張しました。新幹線は脱線するのか?。しかしその時、揺れは収まりました。設計が上手く行ったのでした!。その後すぐ、新幹線は時速 256 km/h を達成しました。これは世界記録でした。1964 年、新幹線は東京大阪間を移動し始めました。その移動は、3 時間 10 分しかかからないものでした。

 

 この才能のある技術者たちによって創られた素晴らしい発明は、日本での旅行を快適に、便利に、し続けています。

 

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