エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Muhammad Ali」(2022 年 12 月)

 

 今日の世界はさまざまなタイプの差別で溢れかえっています。差別とは或る人々の集団を異なる扱いをすること、特に悪い意味で扱うことです。これはそれに向かって戦った男性の物語です。

 カシアス・クレイという、あるアフリカ系アメリカ人の子供が1942年アメリカのケンタッキーに生まれました。彼は後に、3回世界チャンピオンになりました。そして人々は彼を「最強」、またはもう一つの呼び名、モハメド・アリ、と呼びました。

 クレイが小学生のとき、彼の自転車が盗まれました。彼はその泥棒にパンチをしてやりたいと思いました。その時、彼は彼に助言をしてくれる警官に会いました。

「戦いを始める前に、戦うことを学べ。」

 この助言により、クレイはボクシングを始めました。そして彼は大変恵まれた才能の持ち主でした。彼は高校時代、州の大会で6回優勝しました。1960年、クレイはローマでの夏季オリンピックにて金メダルを獲りました。

 この時代、アメリカ南部においては黒人は白人と同じレストランでは食事することが出来ませんでした。しかしクレイは思いました。

「私は金メダリストだ。駄目だとは言えないだろう!。」

 しかしながら、レストランから追い出されてしましました。帰路、彼は近くの河にメダルを投げ込みました。

 

 クレイが22歳の時、彼はプロボクシングヘビー級の世界チャンピオンになりました。彼の戦い方「蝶のように舞い、鉢のように刺す。」は彼のファンから愛されました。彼がチャンピオンになった時、彼はイスラム教徒であることを公言し、彼の名前をモハメド・アリと改名しました。

 ベトナム戦争が1960年に始まりました。アリは戦争に行くつもりはないと言いました。彼は彼の宗教上の理由で戦うことが出来ませんでした。彼はまた他の理由も持っていました。

「なぜ黒人がアメリカから1万マイルも離れたところに、他の無罪の人々と戦うために向かわなくてはならないのか?。彼らは我々に決して問題を与えない。」

 その際、彼の世界チャンピオンのタイトル、パスポート、そしてボクシングの免許は彼から剥奪され、そして彼は刑務所に入れられました。しかし、アリは彼の意志を変えることはしませんでした。

 

 その後しばらくして、アリはボクシングが出来るようになりました。1974年、彼はもう一度、世界ヘビー級のチャンピオンになりました。アリは1981年にボクシングを引退しました。彼は61試合を戦い、その内の56試合に勝ちました。その3年後、彼はパーキンソン病にかかりました。彼は病気にかかりましたが、世界中を回り続けました。例えば、彼はアフガニスタンに国連平和大使として訪れました。

 アリは世界で最も偉大なボクシング選手として記憶されるでしょう、しかし彼はそれ以上の人物でした。

「チャンピオンは彼らが内側の奥に持つ何か、欲望、夢、将来の展望、から作り出される。彼らは技術と意志を持つ必要がある。しかし、意志は技術よりもより強いものでないとならない。」

 

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