エンジョイ・シンプル・イングリッシュ 和訳

NHKのラジオ番組 enjoy simple english「エンジョイシンプルイングリッシュ」を和訳しています。

「Muhammad Yunus」(2023 年 1 月)

 

 17の持続可能な開発目標、つまりSDGs、というものがあります。そしてその第一の目標は貧困層を確実になくすということです。これは一つの解決法を考えた、「貧者のための銀行家」と呼ばれる男性のお話です。

 ムハマド・ユヌスは1940年に東パキスタンに生まれました。彼の家族は彼を大学に通わせるのに十分な財産を所有していました、そして彼は経済学を学ぶことができました。後に、彼は彼の研究を続ける為にアメリカに移りました。そして1971年に、東パキスタンは自分自身の国、バングラデシュとなりました。そのために彼は故郷へ帰ることにしました。彼はバングラデシュの人々はより良い暮らしを始められるだろうことを信じていました。しかし、ユヌスは、貧しい人民の国に帰国したのでした。

 1974年、大きな水害がありました、そして五万人以上の人々が飢えのために亡くなりました。

 ユヌスは貧しい人々に、彼らが何を必要としているかを学ぶ為に話しを聞くことをしました。彼は40人以上に話を聞き、たったの27ドルだけが必要なのだと理解し、ショックを受けました。これらの人々は竹の籠を製造して生計を立てていました。もし彼らが27ドル持っていたなら、彼らは籠を作る材料を得ることができ、より良い暮らしができるかもしれません。ユヌスは彼の財布からお金を取り出し、それを彼らに貸しました。彼は貸したお金を見る事はもうないだろうと考えていました。しかし、彼はのちに彼のお金の全額を全額を得ました。このことはいい意味で彼に大きな衝撃でした。

 ユヌスは銀行が貧しい人々にお金を融資してくれるかどうかを確かめる為に多くの銀行を訪れました。しかし、すべての銀行は融資しないと言いました。銀行は融資したお金が返ってくるか判らないので、貧しい人々にはお金を渡したくなかったのです。

 ユヌスは考えました。

「銀行は富裕層にしか興味がないが、私は貧者こそがほんとうに資金を必要としているのだと考える。資金は貧者のもとへ届くべきものである。」

 

 ユヌスは彼自身の銀行を始めることを決意しました。彼はその銀行にグラミン銀行ベンガル語で「村銀行」、と名付けました。彼の銀行は、事業を回すためにお金が必要な貧しい人々に少額の融資をします。ユヌスはこのシステムをマイクロクレジットと呼びました。これは成功しました。

 政府はこの成果を認識し、そして世界もこれを認めました。グラミン銀行の成功モデルは多くの国に広まり、多くの貧者がより良い暮らしを生きることを助けました。ユヌスと彼の銀行は2006年のノーベル平和賞を受賞しました。現在では彼はグラミンファミリーと呼ばれる、教育、医療、IT、その他様々なものを支援する事業を行っています。ユヌスは言いました。

「多くの人々が貧民は怠け者、十分な技能を持たない、時間を持たない、者だと思っています。しかし、私はそのようには思いません。貧困は彼らのせいではないのです。彼らは彼ら自身が貧困にしているのではありませんでした。貧困は我々の作った社会により、生み出されているのです。」

 

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