みなさんは大きな水槽の中に泳ぐジンベイザメを見たことがありますか?。これらの水槽はガラス製ではなく、アクリルというプラスティックの一種で作られています。それはガラスの 10 倍強度のあるものです。今日は世界初の大きなアクリル水槽がどのように作られたのかを探っていきましょう。
我々の物語は 1969 年に始まります。香川県高松市に新しい水族館を作る計画がありました。1番の目玉はドーナツ状の大きなガラス製水槽になる予定でした。直径は 10 メートルになるものでした。設計者たちは水族館の経営者たちにその水槽の設計を示しましたが経営者たちはガラスを支える柱があるためにそれを歓迎しませんでした。彼らは言いました。
「この柱が景観を損ねる。」
設計者たちは違う素材を模索しました。彼らはすぐに敷山哲洋氏という名の人物に連絡をとりました。彼はアクリルを扱う技術者でした。設計者たちは彼に柱のない水槽を作れるかどうかを尋ねました。敷山はこの挑戦に乗ることを決めました。
まず始めに、敷山はアクリル板の厚みを決めました。350 トンの水に耐えるにはそれはとても強いものでなければなりませんでした。それはまた、人々が魚を見ることができるために透明なものでなければなりませんでした。敷山の会社は何枚かのアクリル板を重ねてもそれは透明なままであることができる技術を持っていました。秘密は接着剤にありました。その接着剤はパネルと同じ材質を用いていましたから、それが乾燥した際にそれはパネルの一部となるのです。敷山は 7.3 cm の厚みのパネルがうまくいくだろうことに決めました。
パネルの強度を試験する際、敷山は実物の 10 分の 1 の水槽モデルを製作しました。実物大の水槽と同じ水圧を得るために、彼は水よりも 10 倍重い液体金属を使いました。モデル水槽が満杯になった時点で、彼は注意深くパネルが平らであるかどうかを確認しました。もし圧力が大きすぎたなら、パネルは湾曲するでしょう。結果は?。それらは完全に平らでした。
次の段階は水槽の組み立てです。敷山は 10 m のドーナツ型の水槽は大きすぎて貨物車両の中に入らないだろうことに気がつきました。それで彼はパネルを 6 つの部品に切り分けることにしました。
1969 年春。その水槽は水族館に組み上げられました。いまや水を満たされる時でした。敷山は緊張していました。
「試作槽はうまくいった。しかし、これは 10 倍大きいのだ。」
敷山と従業員たちは水槽の目前に立ち、見つめていました。水位が上がった時には奇妙な音がしました。一人、また一人、従業員たちはその場を離れました。しかし敷山はその場に留まりました。水槽は大丈夫だったのか?。ついに、それは満杯になりました。アクリル板は十分に強いものでした。世界初の、支柱無しの巨大水槽がとうとう完成しました。
敷山は世界中の水族館のために、巨大アクリル水槽を設計し続けました。この日本の発明品はまさに、世界的な水族館革命を起こしたのです。